小さいころウシガエルのことを食用ガエルと呼び、食べるとおいしいといううわさはあったが、食べたことはなかった。
カエルなどを食べようとも思わなかった。
初めて食べたのは教員になってからのことである。
初任の壱岐高校で生物部の顧問をしていた時の文化祭。
生物部は生物室全体を使って壱岐の動物を紹介した。
その中には生きたウシガエルの展示もあった。
生徒と一緒に苦労して捕獲した巨大な一匹である。
文化祭が終わった次の日は休日。
片付けの終わった生物室にはウシガエルがいる。
その日の夕方、友人の先生と一緒に食べてみようという話になり、生物室できれいに解体し、独身の女性の先生宅で「焼き鳥(蛙)」と「から揚げ」を作った。
二人だけで食べるのはもったいないので、台所を貸して頂いた独身の女性の先生方にもおすそ分けをした。
もちろんカエルとは言わずに食べていただき、「おいしい」という評価を得た。
本当にさっぱりとしたおいしい味であった。
次の日の朝のこと、生物部の部長があわてた様子で職員室に来て、「先生、ウシガエルがいません‼」と大声で叫ぶ。
その瞬間、友人と顔を見合わせた。
女性教員には平謝り、生物部諸君にも一人で食べてしまったことを平謝り。
50年たった今でもはっきりと覚えている。
壱岐高校文化祭の生物室(1977年11月、生物室で撮影)


ウシガエルは昔から日本にいたカエルではなく外来生物である。
ウシガエルの日本での歴史については「カエルのきもち(2001年、千葉県立中央博物館)」という本に詳しく書いてあるので、その内容を参考にまとめてみた。
大正7年(1918年)5月18日アメリカ合衆国ニューオリンズから12ペア24匹が太平洋を越え、はるばる日本にやって来た。
輸入された目的は、疲弊した農家を救うための「食用蛙養殖事業」であった。
ウシガエルの導入を勧めたのは東京帝国大学の渡瀬庄三郎教授で、目的は、「ウシガエルを野生のカエルとして広く繁殖させ、産業的な意味を持つようにする」ということだったらしい。
現在では危険な行為と認識されているが、当時は正しいことだったのであろう。
養殖は関東地方から日本中に拡がっていき、昭和の初めごろには47都道府県全域で行われるようになった。
ウシガエルの肉は日本人には人気がなかった。
しかし、主にアメリカへの輸出品として脚光を浴びた。戦前・戦後と輸出は続き、昭和44年には、7億5千万円もの外貨を稼いでいたという記録もあるそうだ。
ところが、冷凍ウシガエルの肉から農薬(BHC)が検出され、一気に取引がなくなり表舞台から消えていった。
捨てられたウシガエル達は、異国の地であるこの日本で、今でもたくましく生き続けている。
参考にした本

正式の名前は「ウシガエル」だが、私たちは「食用ガエル」と呼んでいた。
今の日本では一番大きなカエルである。
日本ではたくましく生きるがゆえに特定外来生物に指定されてしまった。
ウシガエル(2016年6月、雲仙市国見町で撮影)

巨大なオタマジャクシと地響きのするような大きな牛の鳴き声に似た声が特徴で、一時期は騒音公害として有名になり、生息地周辺ではゆっくり眠れないという苦情が相次いだ。
現在多少落ち着いているのは、もしかしたら、ウシガエルが日本の生態系に少しは馴染んできたからかもしれない。
ウシガエルの気持ちを代弁してみたい。
「これ以上勝手気ままにふるまうとカエルの仲間や他の動物たちからも嫌われる。特定外来生物にも指定されたことだし、日本の生態系の一部として謙虚に振舞おう」かな?
ウシガエル(1992年8月、佐賀県六角川で撮影)

ウシガエル(1992年8月、佐賀県六角川で撮影)

長崎では5月から7月ごろにかけて産卵する。卵塊は水面にシート状になっている。
ウシガエルにニホンアカガエルが間違って抱接(2024年1月、西彼杵郡時津町で撮影)

ウシガエルの卵塊(2020年7月、西彼杵郡長与町で撮影)

ウシガエルの卵塊(2003年5月、諫早市森山町で撮影)

ふ化間近いウシガエルの卵塊(1984年8月、平戸市的山大島で撮影)

オタマジャクシの期間は長く、冬を越して次の年の夏ごろに変態する。
ウシガエルの幼生(2020年6月、諫早市森山町で撮影)

ウシガエルの幼生(2003年7月、諫早市森山町で撮影)

変態した幼体は水辺で育ち、数年かけて親となっていく。

ウシガエルの幼体(2012年6月、長崎市黒崎町で撮影)

ウシガエルの成体(2002年6月、長崎市黒崎町で撮影)

ちなみに、長崎のカエルのほとんどが年内に変態しカエルになるので、冬季に大きなオタマジャクシを見たらウシガエルと思っていいだろう。
ただし、ツチガエルも同時期に産卵し幼生で越冬することがある。
冬季の小さなオタマジャクシには注意が必要である。