田んぼや畑、山道を歩いていると、土が盛り上がって小さな山になっているものを見かけることがある。
それは、坑道(地下のトンネル)を掘るときに出た土を地下から地上に捨てたもので、モグラ塚(図1)と呼ばれている。
図1.モグラ塚(南島原市)

この塚の作成者は、正式名称を「コウベモグラ」といい、壱岐を除く長崎県全域に広く分布している。
五島列島にも対馬にもモグラがいるのに、なぜか壱岐には分布していない。
このことは江戸時代に書かれた平戸藩主松浦静山よる「甲子夜話」にも書かれており、昔から知られていたようで、本当に不思議なことである。
体長は10cm程で(図2)、ずんぐりとした胴体や短い四肢が特徴。
前肢は横向きで大きく、穴を掘るのに適している(図3)。
もちろん、眼は著しく退化し、嗅覚と触覚での生活である。
図2.私の手の上のコウベモグラ(諫早市)

図3.正面から見たコウベモグラの顔(諫早市)

この2枚の写真のモグラは、30年ほど前に多良岳金泉寺の近くの登山道で偶然捕まえたものである。
歩いていたら、登山道の片方の土の崖から飛び出してきて目の前を横切った。
その瞬間、自分でも信じられないのだが、気づいたら捕まえていた。
この行動に自分でもびっくりして一緒に歩いていた生物部のみんなに自慢してしまった。
昔は、この瞬間的な行動が随所に見られたのに、今の私にその力はまったくない。
なお、モグラは強くつかみ過ぎたせいで、すぐに死んでしまった。
もしかしたら、ショック死だったかもしれない。
写真を撮らせてもらい、標本にしたことを覚えている。
図4の写真は、さも坑道から出てきたように見えるが、本当はやらせである。
図4.坑道から出てきたコウベモグラ(佐世保市)

路上で発見した新鮮な死体を、モグラ塚の土を除いて、まさに坑道から出てきたかのように撮った。
私には写真のような姿を自然の中で撮る力も根性もないので、申し訳ないがその方法を使わせてもらった。
モグラは地上に出ることはほとんどなく、地下に掘ったトンネルに落ちてくるミミズや昆虫類の幼虫をエサとしている。
彼らにとって坑道とは巣であると同時に狩猟用のワナでもある。
黒いサングラスをかけたモグラが、ヘルメットをかぶり、スコップを持っている道路工事用のイラストを見かけるが、地下に穴を掘ってしまうモグラは農業にとっては大敵である。
だからこそ、農作物を害するモグラを追い立てて五穀豊穣を祈る「もぐら打ち」という正月行事があるのだろう。
私の実家は農家である。
小さい頃の記憶に、父が畑に行ってモグラを退治する場面がある。
よくは覚えていないが、畑の下の坑道を通るモグラをクワで退治するのである。
これは、なかなか難しいことのようで、父は名人だったらしい。
一度、生きたままのモグラを捕獲してきたので、箱の中に土を入れて飼育したことがある。
エサとして、ミミズや甲虫の幼虫を入れておいたが、翌日には死んでしまった。
その時には、死んだ理由は分からずなぜだろうという疑問を持ったことを覚えている。
後に、一日に体重の半分ほど餌を食べないと生きていけない大食漢ということが分かり、可哀そうに餓死だったのだろうと推察した。
ほとんどその姿を見ることのないモグラだが、モグラ塚は簡単に見つけることができる(図5・6)。
モグラの労働の証でもあるモグラ塚、その下には長い坑道(トンネル)が存在していることを想像しながら見て欲しい。
図5.山際の水田内にある連続したモグラ塚(対馬市)

図6.散らばっているモグラ塚(長崎市)
